実際にはないがありそうな物語の持つ哀感:「東京予報」
Vol.107 更新:2025年7月7日
▼タイトルに「東京」を冠した映画は多い。おそらく東京に住む者にとっては、深川や田端といったピンポイントの地名が持つ居住空間のイメージとはやや違って、もう少し抽象的な時空を喚起する言葉なのだろう。一方、地方に住む者にとっては、かつて憧れの花の都だった都市の名が、今もなお近未来を占う象徴としての響きを残していることを思い出させる。そして、いずれの場所に暮らす者にとっても、少しだけ哀歓が漂うのが不思議といえば不思議だ。「東京予報」(外山文治監督)も、そういう映画の一つといってよい。
▼短編作品集と銘打たれたこの映画の第一話「はるうらら」では、女子中学生の春(星乃あんな)と麗(河村ここあ)は、そっくりな顔立ちで、ホクロの有無を除けば、ほとんど区別がつかない。二人は春が幼少時に別れた春の父に会いに出かける。カフェを営む父の画像を、春がインスタグラムで見つけたのだ。ここまでは、ありそうな話だ。会いに行く前に春は麗にホクロを描き、「春が麗で、麗が春だからね」と約束して出かけた。ここは、あっても不思議ではないが、多分ないだろうと思われる話だ。ありそうなエピソードだけならせいぜい愛憎が生まれるだけだが、そこに実際にはないであろうエピソードが加わることで、星乃および彼女に同期した河村の笑顔が哀歓を伴い輝くことになる。
▼第二話の「forget-me-not」は秀逸だ。ミカ(内海誠子)、エリ(イトウハルヒ)、ハル(宇野愛海)は、ガールズバーの呼び込みをしていた。いつもバーに忘れな草を持ってきていた常連客の君島がネットカフェで亡くなり、遺書らしきものにはミカら三人の名前があった。区役所職員から連絡を受けた三人は、出勤扱いにするから葬儀に出るよう店長から言われ参列したが、他には誰も出席していなかった。君島の手帳には、ミカとエリとハルに対する短くてコミカルなコメントが残されていた。ここには、あったらあったで滑稽なエピソードと、多分ないだろうけどあれば哀歓が過るようなエピソードが混在している。ただし、滑稽さと同じく哀歓も一瞬だけで、日常の中で忘れ去られてしまうに違いない。三人の女優の表情と科白の抑揚が、そこの流れをうまく掬っている。
▼第三話「名前、呼んでほしい」は、公園で会う「ヒナタちゃんのママ=沙穂」(田中麗奈)と「ユウスケ君のパパ=涼太」(遠藤雄弥)との不倫物語だ。現実にはなかなかないであろう状況だが、そこにもっとファンタジー要素の強い設定として、東京の知らない場所で一日だけ夫婦になって別れようという提案が沙穂からなされる。住宅展示場を見て屋台でおでんを食べるなどして別れるとき、沙穂は「ヒナタちゃんのママじゃなく名前で呼んで」と頼む。ここは、ファンタジー要素の設定の中に、突如としてありそうな会話が顔を出す場面だ。そこからは、沙穂が哀歓を経由して現実の家庭へ回帰することが予感され、逆に涼太は哀歓を演じただけで別の現実的不倫へ移行することが予想される。そういう作りに無理なく落とし込みえたのは、監督によるオリジナル脚本ゆえだろう。