児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

本当に表現したいもの:「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

Vol.93 更新:2024年3月21日

▼シリーズ前作「止められるか、俺たちを」で門脇麦が演じていた吉積めぐみは、遺影となって事務所の壁に掛けられている。代わって今回の「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」(井上淳一監督)で描かれるのは、井上監督自身の河合塾予備校時代とその直後の1980年代であり(俳優は杉田雷麟)、脚本も井上が手がけている。また、若松孝二(井浦新)が開いた名古屋の映画館シネマスコーレと、その支配人になった木全純治(東出昌大)の仕事振りが、もう一つの主題だ。

▼かつて文芸座にいた木全は、結婚し地元の名古屋でビデオカメラのセールスをしていたときに、若松から支配人になるよう頼まれる。どうして名古屋なのかと尋ねる木全に、若松は「東京も大阪も高いんだ」と、当然のように答える。(金に細かいと言われる若松らしい答えだ。)一方、初期の頃からシネマスコーレに入り浸っていた井上は、舞台挨拶のため来館していた若松に場外で思い切って話しかけ、焼肉屋に誘われる。その後、帰京する若松を見送るためホームに立っていた井上は、とっさに新幹線に跳び乗る――。

▼私はシネマスコーレに時折、足を運ぶ程度の観客に過ぎないから、この作品に描かれた各人物の表情に、実際に接したことはほとんどない。ただ、成田浬演ずる河合塾講師の牧野剛とは、牧野と私と宮台真司とのシンポジウムや、私の編著における対談、およびその前後の打ち合わせで何時間か話したことがある。もっともそれは1980年代よりもかなり後だったが、それでもそのときの牧野の表情と映画の中の成田の演技があまりにもそっくりなので驚いた。そうとう研究を重ねたのだろう。

▼さて、この映画でクライマックスと呼ぶべき箇所を私の主観により挙げていいなら、シネマスコーレの入るビルの屋上で、井上が自らについて「世の中に怒ったフリしてるけど、それだって借り物競争、在日でも部落でもゲイでもないし、本当に表現したいものなんか何もない」と語る場面だと思う。被害者の貌を装うだけの表現が幅をきかせている現在にあっては。さらに難しい状況になっているかもしれない。だからこそ、なまじの反省などによってアイデンティティ政治に堕すことなく、固有の表現を打ち出してほしいと願う。

▼やや脱線するかもしれないが、この映画には、若松が「大林の何がいいんだか、お前も好きか?」と尋ね、井上が「嫌いです!」と返すシーンがある。では、若松なら、アメリカ・アカデミー賞の視覚効果賞とか長編アニメーション賞とかを受賞したと、いまマスメディアが大喜びしている2作品を、どう評価するだろうか。「何がいいんだか」と切って捨てるのではないか。これらの作品自体については、私も以前にこの欄で、遠慮がちにだが苦言を呈しておいた。加えてマスメディアの姿勢についても苦言を述べるなら、一方でハリウッドに尻尾を振りつつ低予算を強調し、他方でアジア初の快挙などと自慢する構図は、かつてのアジア太平洋戦争と全く同一ではないか。