児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

中学生になっても乳母の布団に:「妖怪の孫」

Vol.82 更新:2023年4月16日

▼安倍元首相銃撃殺害事件を山上徹也の側から描いた作品が「Revolution+1」であったのに対し、同事件以前からの企画らしいが安倍晋三に重点を置いて撮ったドキュメンタリーが「妖怪の孫」(内山雄人監督)だ。前者の上映館は単館系に限られ、しかも一部で上映反対運動に見舞われたが、後者はシネコンでも上映され(ただし館数は少ない)、私の知りうる限りでは反対運動も生じていないようだ。つまり、現時点における言論の許容範囲を測りながら制作された作品なのだろう。また、ドキュメンタリーといっても、隠されていた情報が明るみに出されるわけではない。むしろ、一般に知られている情報を整理し再確認できるように作られている点に、意義があるのだろう。

▼いうまでもなく「妖怪」とは、昭和の妖怪=岸信介を指している。そして、その孫にあたる人が安倍晋三にほかならない。そういえば、元防衛大臣の自民党議員=岸信夫は、自らの出自が岸信介直系であるかのような家系図の略図をウェブサイトに掲載し、のちに批判(あるいは嘲笑)され削除していた。だが、その略図は正確ではなかった。厳密には、まず東京帝大卒の国会議員で、大政翼賛会の推薦を受けずに当選し、東条内閣退陣と戦争終結を主張した安倍寛がいる。そして、寛の息子が元自民党幹事長の安倍晋太郎だ。さらに晋太郎が岸信介の長女と結婚して生まれた次男が安倍晋三であり、三男の信夫は岸家へ養子に出され岸信夫になった。

▼映画には、安倍晋太郎が「自分は岸ではなく、寛の息子なんだ」と語ったというエピソードが描かれている。元A級戦犯で安保条約強行採決の岸信介ではなく、反戦反大政翼賛会の安倍寛こそが、血縁のみならず政治信条としてもルーツだと強調したかったということだ。ところが、晋太郎の息子の晋三はむしろ岸信介を意識していた。なぜなのか。映画は、晋三の持病(潰瘍性大腸炎)と生育歴に焦点を当てている。晋三は、中学生になっても乳母のウメさんの布団にもぐりこんでいた。政治のため不在がちであった両親に甘えたくても、甘えられなかったからというのだ。加えて、祖父寛や父晋太郎とは違って東大卒ではないという学歴コンプレックスもあった(もっとも岸信介も東大なのだが)。

▼このように指摘されると、なぜ安倍晋三が「家庭の価値」という統一教会の教義に共鳴したかがわかってくる。彼にとって家庭の価値とは、それが現実には不在であったぶんだけ、無限大にまで拡大させられるべき理想だった。また、彼には子どもがなかったため理想家庭の仮構を政治理念に求めた。だが、家庭に政治理念が介入することは大いなる錯誤だ。

▼ところで、安倍晋太郎の下関市での有力支援者は在日朝鮮人の吉本章治であり、晋太郎は岸信介と同様に統一教会(勝共連合)に関与していたことがわかっている。この点について映画では、長門市が地盤の安倍家は下関市に足場がなかったからだとしつつ、その代わりに晋太郎は親身に在日朝鮮人たちの相談に乗ったとしている。晋三はどうだったのか。