児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

感動作だが嫌な感じ:「ウトヤ島、7月22日」

Vol.45 更新:2019年3月15日

▼ノルウェー連続テロ事件については、以前、少しだけニュースをフォローし、調べたことがある。2011年7月、当時32歳のアンネシュ・ブレイビクは、多文化主義やイスラム系移民などから国を守るためという理由で、ウトヤ島で開かれていた与党労働党青年部の集会における銃乱射により69人を、またオスロ官庁街爆破により8人を、それぞれ殺害した。

▼二度の精神鑑定では、責任能力の有無について正反対の結果が出たが、ブレイビク自身は政治的信条に基づく行動だとして自らの責任能力が認められることを望み、検察側は責任無能力として医療施設への収容を求めた。結局、裁判所は責任能力ありとして、最高刑である禁錮21年の判決を下した。もっとも、映画「ウトヤ島、7月22日」(エリック・ポッペ監督)では、わずかに反イスラム思想が関与した事件かもしれないと示唆されているだけで、それ以上の言及はない。

▼さて、ヴァータネンという人の論文によると、ブレイビクが1歳時に両親は離婚し、彼は母親に引き取られた。彼は、3〜4歳頃に精神科を受診しているが、詳細は不明だ。22歳までは順調だったが、コンピュータ・ビジネスが立ちいかなくなった頃から、「マルキスト・ハンター」を名乗り、ノルウェー王になることが目標だと語るようになった。同じ論文によると、ブレイビクは、養育される過程での心的外傷体験に由来する、病的ナルシシズムを有していたといわれている。

▼一方、映画では、加害者の来歴はあえて描かれず、姿や声さえもほとんど登場しない。つまり、映画の中からも排除されている。かわりに描かれるのは、被害者の青年たちが逃げまどう姿ばかりだ。こういう描き方に関しては、私には若干の不満がある。どこか優等生的なのだ。たしかに72分間ワンカットという撮影手法は、この映画に限れば緊迫感に寄与している。(安易にワンカットを採用して悦に入る、昨今の風潮には賛成しないが。)

▼しかし、前途ある青年たちが理不尽にも犠牲になったという視点のみで72分間(ウトヤ島事件の実際の時間らしい)を描く方法論は、私のようなひねくれた外国人の観客にとっては、夏のお子様向けキャンプ地から将来の首相が誕生する、おめでたいノルウェー政治という感想が先に立ち、どうしても苛立ってしまうのだ。正義と悪の二分法が倫理として無効になっていること、いいかえるなら正義と悪が経済的格差とパラレルに引かれた区分線に基づいていることに気づかない限り、悲劇は繰り返されるのではないか。

▼そればかりではない。こういう生死の境をめぐる状況に追い込まれたなら誰もが抱くに違いない葛藤に、いまさらのように焦点を当てていること、ウトヤ島ではない別の場所で撮影しているらしいこと、フィクションだと断り書きを入れていること――いずれもが、誰からも非難されないように計算されている。感動作だが嫌な感じがするゆえんだ。