児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

予定調和の虚構:「ライ麦畑の反逆児」

Vol.44 更新:2019年2月25日

▼非難するつもりで書いているのではないから、誤解しないでほしいが、万人受けする青春映画の条件というものがあるとしたら、ほどほどの反抗、失恋、(失恋以外の)トラウマの三つだろう。これら三つが過不足なく揃えば、観客は安心して、その青春映画を愉しめる。一種の予定調和だといっても良い。

▼「ライ麦畑の反逆児」(ダニー・ストロング監督)は、まさに上記三条件を揃えた作品だ。若きサリンジャー(ニコラス・ホルト)は、大学中退を重ねた末、コロンビア大学創作学科へ入学するが、そこでも教授に反抗的な言動を示す。(もっとも、結局は編集者でもある教授に頼ることになるのだが。)また、社交界では、劇作家ユージン・オニールの娘ウーナと恋に落ちるが、第二次世界大戦に応召しているあいだに、ウーナはチャップリンと結婚してしまう。そして、追い打ちをかけられるように、ノルマンジー上陸作戦で生死の境をさまよった結果、戦争トラウマに苦しむ――。

▼この映画の原作者は、サリンジャーの熱烈なファンでブロガーらしいから、映画もまた、上記三条件に、好意的な解釈を与えている。帰還したサリンジャーは、長編『ライ麦畑でつかまえて』を書くことによって、教授=編集者を超えた。その後、彼は、隠遁生活を送ることによって、戦争トラウマと対峙した。(もっとも、前者についていえば、教授=編集者は最後に一分の矜持を残し、後者についていえば、トラウマは完全には克服されなかったことが示唆されているのだが。)

▼ところで、生身のサリンジャーは、ユダヤ人の家系に生まれ、反ユダヤ運動に苦しめられながらも、ユダヤ共同体に属することもできなかったと、娘のマーガレットは記している(『わが父サリンジャー』)。そのため、「ジェローム」という名をユダヤ的で醜いととらえ、常に「J・D・サリンジャー」と、署名していたという。映画でも、このエピソードが、一瞬だけだが、描かれている。

▼同じく娘マーガレットによれば、サリンジャーの実際の隠遁生活は、かなり歪んでいたようだ。常に怪しげなカルト信仰が染み込み、ドメスティック・バイオレンスや児童虐待を伴っていたという。そのため、妻は離婚前に自殺未遂を繰り返し、子どもは精神変調をきたした。そのあたりのところは、映画では、皆無ではないものの、ほとんど描かれていない。逆に、学校新聞をつくるという地元の女子生徒から騙され、インタビューが商業新聞に掲載されてしまった被害者像の方が、大きく扱われている。

▼映画の日本語題名には「ひとりぼっちのサリンジャー」という副題が付されているが、この映画の関係者や観客から、世代を超えて支持される虚構のサリンジャーは、もちろん「ひとりぼっち」ではない。虚構と現実とのあいだには、まちがいなく深い溝が横たわっているが、予定調和を求める限り、必要なのは虚構だけだからだ。