児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

啓発映画としては成功:「夜明け前」

Vol.39 更新:2018年6月15日

▼私事を記すなら、自分の仕事(精神医療)そのものを扱った映画は、なるべく見ないようにしている。愉しめないし、どうしても細部のアラが気になってしまうからだ。私と同じような姿勢の同僚は多く、「夜明け前」(今井友樹監督)もまた、第一線の臨床医の間では、巷間ほどには話題になっていない。それでも観ておこうと思ったのは、この映画を宣伝している人たちの周縁の、そのまた周縁に私がいたというだけの理由に過ぎない。

▼「呉秀三と無名の精神障害者の100年」という副題のついた、このドキュメンタリー映画は、日本へ精神医学を輸入し定着させようとした東大教授を、主題に据えた作品だ。「我が国の多数の精神病者には、病いを受けたという不幸のほかに、日本という精神医療後進国に生まれたという不幸が、重なっているというべきだ」――業界内の人間なら全員が知っているこの有名な言葉が記された、呉による実態調査のレポート刊行から100年を記念して、制作されたものらしい。

▼この映画には、何人かのキーパースンが登場する。というよりも、何人かのキーパーソンの証言を通じて、呉の業績を浮かび上がらせるというオーソドックスな手法により、創られた映画だ。キーパーソンとは、博覧強記の精神科医で資料蒐集家の岡田靖雄、松沢病院で全国平均の10分の1にまで身体拘束を減らした齋藤正彦、共同作業所全国連絡会から始まった「きょうされん」専務理事の藤井克徳といった人々を指す。彼らの証言により、呉が当時のヨーロッパにおける精神病者処遇と日本における処遇との落差に驚き、私宅監置に代表される実態を調査し批判する姿を浮かび上がらせる。いまでも、長期間にわたり私宅監置そのものを続けていた事例が報道される現状がある以上、それは決して歴史的過去にとどまる話ではない。

▼他方で、呉の業績が、見方によっては心を脳に還元する思考方法に道をひらくものだった可能性や、私宅監置に病床建設を対置する方法論が後の収容主義につながる可能性を孕んでいたことにも、観客の注意を促す仕掛けが、さりげなく映画の中に嵌め込まれている。誰のアイデアを採用したのかは知らないが、そのあたりは、よく計算されているのではないかと思う。

▼今井監督は、出身地の岐阜県を舞台にしたドキュメンタリー作品を撮っていた。そのこともあって、私などでも監督の名前は知っていた。素人のあてずっぽうで言うだけだが、昔ながらの手堅い方法での撮影を、身上としている監督なのかもしれない。この映画でも、びっくりする新事実が描かれているわけではないし、眼を瞠る映像美が含まれているわけでもない。だから、正直に言って、昔の教育映画といった趣の作品であることは確かだ。しかし、啓発映画としては、十分に成功していると思う。地道に浸透することを願うばかりだ。