児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

青春期というライフステージの登場:「ディーン、君がいた瞬間(とき)」

Vol.18 更新:2016年2月8日

▼人生に青春期という段階が、はじめて本格的に登場するためには、農村から都市が分岐する必要があった。農村に生まれた子どもが、単身で都市へ出てきたとき、そこでの生活のはじまりは、すなわち青春期のはじまりだった。だから、初期の青春映画は、必然的に農村と都市の対立を背景に持っていた。

▼ジェームズ・ディーンが遺した3つの映画は、いずれもその典型だ。冷凍レタスと穀物投機が、観覧車とともに登場する「エデンの東」。都市のハイスクールへの転校から、チキン・ランへと至る「理由なき反抗」。そして、青年から成人への道のりが、牧場から石油への道のりとともに描かれる「ジャイアンツ」。だが、ジェームズ・ディーンの故郷がインディアナ州の農村で、父とサンタモニカへ移った一時期を除けば、ハイスクールを卒業するまで、ずっとそこで暮らしていたという事実を、(当時は誰もが知っていたのかもしれないが)少なくとも私は、寡聞にして知らなかった。

▼さて、「ディーン、君がいた瞬間(とき)」(アントン・コービン監督)は、インディアナのディーンの姿が、ふんだんに織り込まれた映画だ。いいかえるなら、ジェームズ・ディーンという伝説の俳優が、実は当時の農村と都市の対立の中から生まれたことが、よくわかる作品になっている。

▼写真家のデニス(ロバート・パティンソン)は、「エデンの東」の主演俳優だとは知らないまま、ジミーすなわちディーン(デイン・デハーン)と出会う。「エデンの東」の試写を見て衝撃を受けたデニスは、ディーンのフォト・エッセイを撮り、「LIFE」誌へ売り込もうとする。しかし、ディーンはデニスを警戒する。デニスは、父を亡くしたあと海軍に入り、若くして結婚したが、妻と子どもとはうまくいっていない。それを知ったディーンは、デニスをインディアナへ誘う。「インディアナには何がある?」「僕の過去のすべてがある」「過去には興味がない、興味があるのは未来だけだ」といった遣り取りが交わされるが、二人は結局、インディアナへ向かう。

▼故郷でのディーンは、ニューヨークとは違って、生き生きとして優しかった。信号が一つしかない農村でのトラクターや牛の前で叩くコンガとともに写されたディーンの写真は、都市の中の理髪店や雨中のタイムズスクエアでの写真とならんで、きっと当時は皆が知っていた話題作だったのだろう。そこに着目しつつ、デニスとディーン以外のエピソードを最小限にまで削り落としたことで、「ディーン、君がいた瞬間」という映画は、確固とした視点を維持しえた。なお、実際のディーンが近視だったからだろう、この映画の中のディーンは、いつも眼鏡をかけている。その容貌が、「理由なき反抗」の中のディーンとは違った、等身大の青年の姿を表現している。その意味で眼鏡は、観客がディーンに対して 共感を抱く小道具になっている。