児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

慈善ではなく団結!:「オールド・オーク」

Vol.116 更新:2026年4月29日

▼「オールド・オーク」(ケン・ローチ監督)は、「わたしは、ダニエル・ブレイク」「家族を想うとき」に続くイングランド北東部三部作の最終章という触れ込みで、かつ監督の最後の作品というのだから、観ないわけにはいかない。舞台は2016年の寂れた旧炭鉱町。TJ・バランタイン(デイヴ・ターナー)は、昔からのパブ「オールド・オーク」を営んでいるが、客は少数の常連のみで、老朽化した店を補修できるだけの収入すら得られない。その旧炭鉱町にある家賃の安い住宅に、シリアから逃れてきた難民たちが暮らしはじめた。パブの常連を含む住民や彼らの息子たちの何人かは、難民に対し嫌がらせに走る。人は苦しい時に下を見て身代わりを探すからだ。他方、TJは、流暢な英語を話す難民のヤラ(エブラ・マリ)とともに、パブの奥にある長く鍵をかけたままだった部屋で、日本でいうところの子ども食堂を開くが、水漏れと漏電のため行きづまってしまう――。

▼ここで、映画そのものからは少し離れて、関連する政治―社会的背景を確認しておこう。2016年のイギリスでは、国民投票によりEUからの離脱が決まり、ブレグジット・ショックと呼ばれるポンド下落が起こった。その前から、サッチャー以降の新自由主義が社会の分断を産み、分断された片方の人々の怒りは、流入する移民へと向かっていた。折りしも、シリアではアサド政府軍がイスラム国との内戦でアレッポを制圧し、刑務所では虐待・拷問・処刑が繰り返されていた。このような中で、シリアからイギリスへ最初の難民が到着したが、彼らの行き場は首都ではなく、空き部屋の多い衰退した町だった。

▼さて、この映画には、イギリスらしく犬が登場する。妻子と別れたあと自殺しようとしたTJの前に現れ、その時から彼が育てている子犬で、名前はマラという。どうも炭鉱労働者仲間では相棒を意味する名前のようだ。そのマラが、獰猛な大型犬に噛み殺されてしまう。単純に、炭鉱労働者間における絆の崩壊を象徴する出来事と捉えて間違いないだろう。

▼一方、映画の中盤で難民と住民を架橋する役割を果たしたのは、先に記した子ども食堂のような形で共に食べることのほかには、もともとカメラマン志望だったヤラが撮影した写真だ。ヤラのカメラに写っていたシリアの惨状、パブ「オールド・オーク」の奥の部屋に掛けられたまま残されていた炭鉱労働運動時代の写真、そしてヤラが新たに撮影した住民とその子どもたちの写真が、スライドショーのような形で供覧される。

▼それだけではない。シンプルで力強い言葉が、いささかの衒いもなく挟み込まれる。自分たちが行おうとしているのは、慈善ではなく団結だ。だが、いまの社会は、ヘイトと嘘と腐敗そして裏切りに蔽われている。かつての炭鉱労働者のパレードには、「strength」「solidarity」「resistance」と書かれた旗幟が掲げられていた。これらの言葉(というよりもスローガン)が合流し、あたかも直球勝負のように大団円へと向かう臆面のなさには、不覚にも感涙を禁じえなかった。