児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

青春の劇画:「TATSUMIマンガに革命を起こした男」

Vol.8 更新:2015年3月13日

▼漫画家の辰巳ヨシヒロが亡くなった。享年79歳、悪性リンパ腫だったという。少し前に「TATSUMIマンガに革命を起こした男」(エリック・クー監督)が各地で上映されていたが、その頃にはすでに調子を崩していたらしい。

▼「TATSUMI」は、私などが映画不毛の地と思っていた、シンガポールの監督による作品だ。「イロイロ」と併せて考えるなら、シンガポール映画に関する先入観を、そろそろ改めないといけないのかもしれない。

▼「TATSUMI」には、辰巳が過去に発表した5本の短編作品が含まれている。そのうちの「地獄/HELL」は、原爆の閃光によって壁に焼きつけられた人影の写真で有名になった、カメラマンの話だ。死んだはずだった人影の人間が生きているらしいことがわかり、カメラマンの栄光は崩れ去る。正義と不正義が入れ替わり、美談もないかわりに反美談もなくなる。要するに、正義や美談をあげつらうほど、民衆は閑ではないということだ。

▼戦争モノ以外の作品では、失業モノとでも呼ぶべき系列の短編作品が選ばれている。そのうちの一つ「男一発/JUST A MAN」では、定年をひかえ会社にも家庭にも居場所のなくなった課長が、なけなしのヘソクリ預金をはたいて女遊びをしようとするときの、悲喜劇が描かれている。玄人の女性からは適当にあしらわれ、意外にもベッドをともにすることになった素人の女性とは、身体がいうことをきかない。高度成長の裏面にみられた屈辱と哀感が、過不足なく描かれている。言い換えるなら、美しい昭和などどこにもない。

▼私が辰巳の劇画作品のいくつかを読んだのは、1970年代の『ガロ』その他の雑誌を通じてだったと思う。辰巳に関する当時の私の認識は、白土三平とつげ義春のあいだくらいの世代で、白土風の活劇でもなければ、つげ風のシュールレアリスムでもない、自然主義劇画といった程度の、中途半端なものに過ぎなかった。だから、その後に辰巳作品がヨーロッパで高く評価されていたことも、寡聞にして知らなかった。

▼しかし、国際的評価が、辰巳作品とシンガポールの映画監督を結びつけたのだろう。こうして、私のようなかつての怠惰な読者が、再び辰巳作品を目にすることが可能になった。そして、以前はわからなかった哀感が、今なら少しだけわかる(ような気にさせられる)。

▼「TATSUMI」の一般公開に合わせての出版だと思うが、『辰巳ヨシヒロ傑作選』と題された短編集がある。その中の一編を任意に開いてみると、たとえば「わかれみち」という短編に出会う。そこには、親友が営む寿司屋の2階の窓から見える、都電のパンタグラフが描かれている。ああ、こういう絵を確かに見たな、という記憶が喚起されると、その頃の卑小な青春の思い出が次々と誘発されていく。だから、この映画には、いくら感謝しても感謝し尽せないことになる。